【センス・オブ・ワンダー】子どもの教育、これがひとつの解なのだ、と思う。
諸事情により子どもと離れて生活している。
大体、1ヶ月、ないしは2ヶ月に一回子どもと会う。もう3歳になり、幼稚園に通うようになり、このゴールデンウィークに久しぶりに会うと、すっかり会話ができるようになっていて驚いた。完全に自我が芽生えている。
自分の考え、感じたこと、疑問点を24時間、寝ているとき以外はずっと文字通り濁りのない眼で、濁りきった眼の大人にぶつけてくる。
久しぶりに会うからだろうか、終始だっこもせがまれる。
こちらも久しぶりなのでついついだっこをしてしまう。お陰で今帰りの飛行機だが、腰が異常に痛くて、座席に座っていることがとても辛い。
その辛さを感じているなかで、レイチェルカーソンの「センスオブワンダー」という本を読んだ。
わずか54ページほどの本ではあるが、読後、なんだか興奮してしまい、今、このようにメモを残している。
この連休中に何度も感じたのだが、子どもと話をする。子どもが考えていること、感じていることをとらえようとすると、手から砂がこぼれ落ちるように、さらさらと逃げてしまうものがある。
おそらく、それがセンスオブワンダー。自分がどれだけ閉ざされた大人になっているのか、この本は、すごく優しい言葉で、強烈に問いかけてきた。
「子どもは天才」だとは使い古された言葉だが、体感値としてやはり、わかる。
そもそも扉が開かれている存在としてある子どもはすべからく天才であり、その扉が、真綿で何者かに、おそらく、総じて大人と呼ばれる存在にゆっくりと優しく閉じられていく事によって凡人となっていくのだと思う。感性の扉ではなく、知識の扉を優先することによって天才は殺されるのだ。広い意味で今、この瞬間にも多くの子どもは殺されているし、私たちも殺されたのかもしれない。
私たちは子どもに、もっと、聞くべきもの、見るべきもの、触るべきもの、嗅ぐべきもの、味わうべきものを感じ、そしてそれに対しての直感的なうちなる声を知るべきだと語るべきなのだと思う。
子どもにどういう教育をするべきなのか、知識は後からでもいい。なんなら後々詰め込んだって構わない。ただ、その知識を入れ込んだときに健全な萌芽がみられるように、肥沃な土壌を耕す事が親の教育なのだということをこの本は教えてくれる。
生きる力とは、土壌の豊かさであり、その土壌は大きくできさえすれば、死ぬまでその人の人生を支え続けてくれるものなのだ。
力強く生きることは、心に肥沃な大地を持つことだ。
自分の子どもが、生きていることがつまらないと自分自身が感じる、もしくは自分の人生に対して何も感じない、ただ時計の針が進むのを待つような、そんな無感動な人生を送って欲しくはない。この世界は豊かであり、貴重であり、有限であり、生き物に貴賤はなく、全ての自然に平等に価値があるのだということに気づいて生きる、そういう生き方をして欲しい。
「私たちは何かを手に入れて幸せになろうとしている。モノ。お金。そして健康。でも手に入らなければ不幸なのか。「ある」幸せがあるなら「ない」幸せがあったっていいじゃない。そう考えると意外なほどに心は浮き立つ。人生は自由だ。そしてどこまでもひらかれている。」
今、私たちが追い求めているものとはけっきょくは社会が作った「価値があると多数決で決まっているもの」であって、それを追うことはレースを走る事であって、豊かに生きる事ではないのではないだろうか。
ただ、私はレースを降りる度胸もないということも事実ではあるので、先ずは出来ることから始めたい。
豊かに生きるために、私自身も、今からでも遅くはないと信じ、自分の五感とうちなる声に、子どもと同じように声を傾けていくように生きていきたい。
そして子どもには、扉が開いているかどうか、そこを意識して見守っていきたい。
たかだか54ページ、ものの30分程度で読了できる本ではあるが、教育や生きるための本質がつまっている本であると思う。レイチェルカーソン、素晴らしい。名著と名高い「沈黙の春」も読んでみようかしら。
- 作者: レイチェル・L.カーソン
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/07
- メディア: 単行本
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