ひたすらに生きる。

映画のエンドロール。

キャスト、スタッフ、協力会社の名前が流れ、一番最後に彼の名前が映し出された。

映画監督になりたいと高校生の頃から言っていた、その彼の処女作が昨日公開された。

映画の内容は、おそらく様々な大人の意向が働くなかで、どこかに爪痕を残そうと前向きに頑張った意思を感じて、本編とは関係なく、心のなかで「監督!がんばれ!がんばれ!」と私情を挟みまくって応援してしまった。

そういう意味で手に汗握りながら迎えたエンディング、エンドロールで彼の名前を見て、図らずもいいおじさんなのだが、涙が溢れてしまった。

夢が叶うとはどういう気持ちなんだろう。

なりたいと強く願ったものになったあとに見える景色はどんなものなんだろう。

多くの人が思春期と呼ばれる時代に夢を語り、ああ私はきっと何者かになれるのかもしれないと思い、いつの間にか、流れの中で生きていく術を覚え、その中で自己を確立していく。

夢を叶えた人はきっと今、その先の夢を見ているように思う。そういう思考でなければ夢は叶わないと思う。

夢なんか見なくてもかまないと思う。夢を持つことは重要ではなく、夢がなくても生きていく強さを身に付けることの方が重要だと思う。

ただ彼の映画を見て、純粋に、自分が成し得なかった、夢を実現するという事を形にしていることに憧憬を覚える。

思春期を過ごした同級生というのはいい。

仲が良かろうが、顔見知り程度だろうが、活躍を知ると心の深部があの頃のように熱くなる。

もう測る物差しが違うのでなんとも言えないが、やっぱり勝ち負けで考えたりしてしまう。

おれの中では、永遠に悪友で永遠にライバルだ。

距離を離されたら焦るし、追い越したなと思ったらほくそ笑む。

それでいい。彼らはおれの指標なのだ。

今日の映画の監督、テレビ番組を作っているやつ、建築家になることを実現したやつ。

明後日、そんな夢を叶えた同級生3人と飲む。

夢を叶えていない俺はひたすらに生きるという事を語るんだと思う。

「ひたすらに生きる」

悪い言葉ではないかな。