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禅とはなにかをしろうとしたが、よくわからなかった。

なぜと訪ねられたら答えようもないのだが、昔から「禅」というものにひかれている。

 

何度か自分自身で体感してみようと思い、禅を組みにいったこともある。

 

始めて禅を組んだとき、早稲田にある曹洞宗のお寺さんだったように記憶しているが、夏のまだ暑い夕方から真っ暗にした部屋のなかで、壁に向かってひたすらに座禅を組んだ。

 

半目を開けながら、斜め下に視線を落とし、心のなかで数を数えるといいという教えのもと、ひたすらに数を数えた。

 

部屋の中には私とお坊さんともう一人の体験者のみ。

 

静かである。

 

早稲田という土地は元々そこまで騒々しい土地柄でもないが、それでも都内でここまで静かな空間があるということに少なからず驚いていた。

 

当時の私は心に様々な悩みごとを抱え、一方で、悩みがあるということはわかっているものの、それに対して考えるという時間がなく、ただただ壁のなかに押し込まれているように感じており、生きにくさだけを感じていた。

 

禅を組んでどれくらい時間が経過したのか、ふとからだが宙に浮くというか、楽になる瞬間があった。終わったあと、なぜだかわからないが、壁が無くなったような気持ちになり、すごく心が落ち着いた。

 

あの体験をもう一度味わいたく何度か禅を組んでみたが、特にそういったことは訪れない。彼女と組みにいったときは邪なことばかり頭に浮かんでしまい、なにも集中出来なかった。

 

鈴木大拙であれば、私がなんで禅にひきつけられるのか、あの楽になった体験はなんだったのか、その答えを教えてくれるのではないかと思い読んでみた。

 

正直に告白すると、内容を理解することが出来なかった。

 

難しい。

 

唯一心に落ちてきた言葉は、

 

「われわれは知性に生きるのではなく、意志に生きるからである。われわれは理解の行為と意志の行為とを歴然と区別すべきである。前者は比較的価値の低いものだが、後者は一切である。」との言葉。

 

もう少し、鈴木大拙の本を読んでみたい。よくわからないながら、何かある気がしてならない。

 

ちなみに金沢にある、鈴木大拙記念館は最高に素晴らしい建築物。静的な心を建物にしたらああいう建物になるんだと思う。禅的空間に包まれたければ一人で行くといいと思う。

 

けっして彼女と行く場所ではない。

 

禅とは大前提として自己を見つめまくる行為ということで愛を確かめる事ではない

 

 

禅 (ちくま文庫)

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