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牯嶺街少年殺人事件 を観て台湾に思いを馳せる。(ネタバレあり)

映画、牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件を観ました。

 

4時間という上映時間の長さながら、その面白さの噂はだいぶ前から聞いており、いつか観てみたいと思いつつ、ただ時は過ぎ、マーティン・スコセッシの会社からデジルリマスタ版で25年ぶりについにリバイバル上映ということで雨のなか新宿武蔵野館へ。

 

うん。さすがマーティン・スコセッシ、持ってるお金とセンスが違いますね。感謝の印に沈黙もう1回観ようかな、なんてこと考えながら、雨のなか傘をさし、駅へ向かいます。

 

こういう映画を観ることができることが東京の一番いいところだな~と思いつつ副都心線は新宿を目指します。

 

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

本当は先週観ようかと思っていましたが、当日券は完売しており観ることが出来ず今週へ持ち越しとなったのです。

 

今回はちゃんと前日に予約しましたがそれでも残り数席というのは注目度の高さが伺い知れますね。

 

新宿武蔵野館に到着すると中がリフォームされており、かなりキレイになっていることにまず驚きました。小汚ない昔ながらの映画館だったのが、かなり今風のミニシアターという感じに変わっていました。ブランコまであったよ。笑

 

引っ越してから新宿には全然来てなかったんだな。

 

座席についてあらためて4時間か~と考えると朝の5時くらいまでアホみたいに飲んでいたことが悔やまれます。体力的に寝てしまいそうな不安を抱えつつ映画が始まりました。

 

昨晩の飲み会。おれはなんであんな無駄な時間を。と後悔しても時すでに遅く、暗転して、開始10分で案の定すさまじい眠気に襲われる。

 

しかし、そこは気合いでがまん。がまん。がまん。。。ん。。だんだんなにかに捕らわれはじめる不思議な感覚。。なんだこの感覚。

 

そうなんです。映画が終わり、まず感じたことは4時間の長さを全く感じさせない、というか、途中から時間の感覚が無くなりました。それくらいに60年代の台湾に没入しました。

 

話の筋は簡単で、少年の恋愛ものと不良の抗争を軸に、60年代当時の台湾の不安定な社会を背景にして進んでいきます。

 

台湾は、戦前はオランダ人に、戦中は日本人に、戦後は蒋介石率いる中国国民党の外省人たちに支配され続けた国。

 

戦後の蒋介石の時代には元々いた台湾人(内省人)は、数でいったら圧倒的に少ない外省人に支配され屈辱の日々を送っていたらしいですね。

 

内省人が国をおさめることが出来るようになったのは蒋介石蒋経国を経て李登輝になる90年代になってから。でも、李登輝も中国国民党だから、実際はホントに最近になってからなのかな。

 

主人公たちは日本が占領していた時代に建てた日本式の家屋に住んでいます。

 

ちなみに主人公の寝る場所は押し入れのなか。

 

日本は占領していた時代に台湾のインフラを整えたりして、かなりちゃんとした政策をおこなったらしいですね。

 

司馬遼太郎曰く、植民地化をすることは国策のなかで最大の愚行だが、いい点を一点だけあげるとするとその国が持つ最先端の技術が投入されるという面があるとのこと。だから台湾の人は今でもけっこう親日らしいです。東日本大震災の時には多額の寄付をしてくれましたよね。

 

でも、歴史を調べてみると、たぶん中国よりはましっていう感覚もあるんじゃないかと思いますが。

 

とにかく、そんな占領され続けた台湾の人々がそれまでどれだけ苦労していたのか、今となっては想像するしかないのですが、恐らく今の北朝鮮みたいな感じではないでしょうか。と、そんな歴史を知っているとこの映画への印象はかなり変わると思います。

 

主人公のお父さんへの圧力。国歌斉唱に対しての人々の態度。なにより全編を漂う虚ろな雰囲気。抑圧された空間のうわばみみたいな中から産まれてきたチームを組んだ不良たち。全ては台湾のその当時の時代の産物。

 

この映画の大切な要素は光です。

 

逆に言うと闇なのかな?

 

その光は懐中電灯の光であって、決して太陽の光ではありません。

 

だから闇がすごく深い。

 

少年の通う学校も夜間だし。闇へのこだわりは強いと思いました。

 

たぶん、少年が握りしめている盗んだ懐中電灯の光は少年の未来を表していて、その光が照らす小さな範囲しか見えていない思春期の少年の気持ちと不安定な未来、さらに恐らく60年代の台湾の人たち(内省人たち)の気持ちを懐中電灯1つで表現しているんだと思います。

 

また他にも少年達が握りしめているのが日本人が残していった刀。

 

だからこそ、懐中電灯を置き、その刀で女の子を殺してこの映画はエンディングを迎えます。

 

殺され続け、闇から抜け出せない当時の台湾の状況を懐中電灯と刀に置き換えて、一人の女性が死ぬということを比喩としてけっきょく闇から抜け出せない台湾人を表現しているいるんだと思います。最初と最後の合格発表も抜け出せない現実を表してたのかな。最後のラジオから流れてくる合格発表は胸が苦しくなります。

 

そういった社会情勢のメタファーみたいなものと平行して、不良だろうがなんだろうが少年達の純粋な気持ちもこの映画には溢れています。

 

あんなにまっすぐに、君を守りたい、なんて37才のおっさんには言えません。言えるのは田原俊彦くらいです。

 

大切な友達のために泣くことも、恋人のために友人と喧嘩することも、レコードにかじりついて必死で歌詞を聞き取ろうとすることも、もうありません。

 

眩しかったです。

 

子どもは時代の鏡であると同時に時代の光なんですねきっと。

 

そしてこの映画の肝は音楽で、エルビス・プレスリーを聞いて、あんなに切ない気持ちになったことは今までにない音楽体験でした。

 

この映画、すごくリアルなんだと思います。

 

実際の事件が題材だからそりゃそうなんですが。

 

なにか派手な演出があるわけでもなく、少年と少女とそれを取り巻く世界を淡々と見せているだけ、それだけで画面のなかに引き込まれていきます。監督であるエドワードヤンに乾杯です。

 

ちなみに今の台湾はどうなんでしょうか。けっきょく中国ってことになったままの台湾の人にとって、光はみえているんでしょうか。まーだいぶ状況は違うと思いますが。

 

再来週はその台湾に行きます。

 

牯嶺街少年殺人事件の時代から50年過ぎた今の台湾の空気を吸ってみようと思います。