誕生日にて


まだまだ暑いんですが、日本人が昔決めた暦の上では立秋で、寒蝉が鳴き、なんだか夕方が寂しくて、無駄に泣いてみようかな、なんて考えてみたりして、無理やり「君の膵臓を食べたい」見てみたり、旬の魚はイナダと聞いて、でもブリになるのを待ちたいと思ったり、今度は冬瓜だと聞いて、そもそも食べ方がわからないと気づいたり、ていうか、東京で寒蝉の声なんて聞いていないと思ったり。ん?じゃあ泣きたい気持ちは何だったんだと思ったり、そんな感じで都心では慌ただしく季節が過ぎていきます。

 

日本人は昔、季節を24節72候に区切って移り変わりを感じたらしいです。

 

今日は「寒蝉鳴」という季節らしい。

 

ただの数字の羅列よりも、そういうセンスはすごく好きで、外国のことをよく知らないだけだとも思いますが、日本人の日常を慈しむ感覚が、豊かだなと思います。

 

暦の上では季節の変わり目である今日、あなたの誕生日を知ってから、毎年この日になるとそんなことをなんだか考える瞬間が必ずあって、その時間は1年間のなかで好きな時間の1つです。

 

日常を切り取ることをに成功した日本人と、世の中の些末なそれでいて美しかったり大切だったりするものに目を向けるあなたと、日本人とあなたという2つの事を同時に思う事はおもしろいものです。

 

食べるという事に視点を置き、それを切り口としてその様々な可能性を拡げて考えていこうとするあなたの姿勢は、その世界やそういう生き方を知らない私にとって、本当はすごく危なっかしいと思うんです。

 

一方で、あなたからの日々のメッセージはすごく心をざわつかせます。

 

あなたがどうやってご飯を食べられるようになるのか、それがすごく楽しみで、そこに新しい日本人としての芸術的な生き方の可能性を感じざるを得ないのです。

 

司馬史観が強い私は常々「生き方は芸術作品になる」と思っています。

 

ものではなく、思想信条の表現媒体としての何かが、それに触れた人を感動させ、心の中に何かしら襞を作り、沈殿物を残し、いつかの触媒となるものを残す。

 

それが芸術作品だというように私は考えています。

 

ものでも、食べ物でも、音楽でも、思想でも、全てそうだと思います。

 

そしてそれを作り出す作り手は、やさしくなければ芸術作品は作り出せない、芸術家にはなれないというのが、私が思う作り手、つまり、芸術家の必須条件です。

 

誰よりもあたたかい眼差しを持つあなたは、芸術家になる資格を充分備えていると思います。あなたのその眼差しでこれからどんな作品を作り出すのか、史上最高の受け手を目指す私は、あなたがこれからの生き方として何を生み出すのか、しっかりと見届けたいと思っています。

 

私の信条としては、「飲み屋で隣に座ってる酔っぱらいの戯言が、よく聞くとたまに真理を言い当てている」みたいな(この石野卓球の発言すごく好き)そんなスタンスなので、基本的に外してる事も多く、真面目ではないので聞き流してもらっていいんです笑

 

とりあえず、長くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。

 

いつまでもあなたの味方です。


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