この書は捨てずに、町にも出ずに、じっくり部屋のなかでイマジネーションを加速させるのだ。

日本に生まれ、日本で育ち、日本の会社で働いて、日本人と結婚して、日本人として年老いていき、最後は日本のお墓に入る。

なにも考えずとも、世界的視野で見れば日本人という属性になり、そういう見られ方をしているはずである。

けど、日本人てなんなんだろうか。

ほとんどそんなことを考えないのでよくわからない。

では、日本的なものとはなんなのだろうか。

これはわかる。

お寺、神社、桜、仏像、浮世絵、和食等々、たくさん思い浮かんでくる。

京都が好きで、よく行く。

京都の純日本的な雰囲気が好きで、行くとホッとできるし、一方で背筋が延びるような凛とした厳粛な雰囲気を感じることもあり、それにも日本を感じて気持ちがよくなる。

東京は生活の場所だ。

東京が好きかと言われたら好きではない。あらゆる欲望を満足させるという視点であればおそらく世界基準で見てもそうとう高いレベルにあると思う。たが、好きではない。

生きにくい。

生きていくことってこんなに大変なのかと実感させる。

その大変だと思う人々の思いが大きなエネルギーになってメガロポリスTokyoを動かしている気がする。

生き物としてというよりも、Tokyoという街を動かすためにいかに高性能な部品になるか、それを求められている気がしてならない。

たまに壊れた部品が出て、電車なんかを止めてしまうと、Tokyoの機能はストップしてしまう。

東京にはなんでもあるが、もはや、人が人として生きる場所ではなくなって来ているように思う。

物凄く話がそれた。

日本人というもの、日本的であるということ、それの答えがこの本の中にはあるように思う。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「日本の面影」。

ラフカディオ・ハーンはもともと新聞記者だっただけ、描写力と分析力が圧倒的に優れている。さらにその上に詩的な文章力も加わり、読んでいる人を明治時代の日本へトリップさせる。完璧なトリップ本。

旅行に行く時間がない。お金がない。安心してください。我々には小泉八雲がついています。

新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)

新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)