どんなきれい事を言っても現代はお金がかかる世の中なのだ。
村上隆展を観てきた。
もともと好きなアーティストではないのだが、仏教美術は好きで、150メートルの五百羅漢図と言われたら、dob君が好きではなかろうが、六本木ヒルズのマスコットをダサいと思っていようが、とにかく観てみたいと思い、森美術館へ向かった。
全然村上隆のこと知らなかったけど、かなり仏教色濃厚な作品が多い。
最初に並ぶのは円相をモチーフにした村上隆の自画像。
円相って禅の心じゃないですか。
むむむ。
いい意味で期待を裏切る入り方。
そこからも、達磨や伊藤若沖などを真似した現代的な作品がならぶ。
達磨関連はすごくよかったな。
想定通り、キャラクターものには全然はまれない。
キャラがたっていれば勝ちだみたいなことを村上隆は言っていたように思うし、それはある意味真理だと思うが、彼のdob君のキャラクターがたっているようにはあまり思えない。
dob君にうんざりし始めたところで、五百羅漢図が登場。
すばらしい!
それぞれの幕の中で物語が完結してて、ストーリーのある絵がおれは好きなんだろうなと思った。
だから仏教絵画とか禅の絵とかも好きなんだろう。
五百羅漢図は大きさにも圧倒された。
けど、この展覧会を通じて一番感じたのはアートってなんなんだろってことですよ!
村上隆を評して日本美術の翻訳者っていう人もいるようだけど、間違いなく上手に日本美術から着想を得てほとんどの作品を構築してるからなんだけどそれってアートなんだろうか。
海外でウケる理由はわかる気がしたが。
なんか、アンディウオホール展を見たときも同じような感覚に陥ったんだけど、かれも分かりやすいアメリカをモチーフにして作品を作って、その作品からは作家のこの一枚にかけた思いみたいなものを全然感じることができなくて、ただひたすらコマーシャルを見ているようでカッコいいけどただそれだけの印象だった。
村上隆も基本的には同じ感じがしたな。
商業主義の匂いが強かった。
おそらく村上隆は美的なセンスを多分に持つセールスマンなのではないかな。
けど彼自身、いいものをつくる、お客さんの期待を越えるためにはお金がかかるって言ってたけどそれはその通りで、その商業主義でお金を儲けて、彼の今の思いを形にしたのが五百羅漢なのであれば、ここまでの道程は間違いじゃなかったと思う。
あれだけは、作家の力とか思いを強く感じて、このためにお金を儲けてきたなら納得できるって感じだったかな。
それだけ圧巻の五百羅漢図でした。